平成19年12月16日 
   初めて宇佐署へ
 警察から連絡があったりして、気分が沈んでいました。「死人に口なし」という言葉…冷たい警察…迷惑そうな警察…忙しそうな警察。
遺族調書が21日に決まりましたが不安で不安で。

 平成19年12月21日
        遺族調書
 今日は、黒船来航のように不安だった遺族調書に出向いてきました。
思っていたより警察官が丁寧で救われましたが、捻じ曲がった自転車や、ひびが入ったフロントガラスを見たときは、その場の光景が目に浮ぶようで…可愛そうで…悔しくて…なぜ、あの一瞬のレールに乗ってしまったのか。もう少しで家にたどり着いていたのに。
楽しい高校生活だったのに。
「厳重なる処罰を望みます」とはっきり伝えてきました。あの日以前は、平和な4人家族だったのです。何事も無かったのです。それが今は、何もかもが変わってしまいました。この世の中で普通に生活できなくなった感じです。仕事、学校、買い物、食事、1日の生活自体が、生きていくこと事態が辛く苦しい。
厳重なる処罰がいかなるものか分かりません。きっと私達や皆さんの苦しみを十分に癒してくれることはないでしょう。でも一つ一つ進んでいくしかありません。

いつでも奈那はきっと笑顔で私達を見てくれてると思ってます。
 平成20年1月24日
  大分地方検察庁
     中津支部へ
 今日は始めての検察庁。上申書を携えて神妙にお伺いしました。
ほんの小1時間でしたが、交通遺族の心情を聞いてもらいました。
検察官は穏やかな人で、ちょっと拍子抜け。妻の涙の訴えにも 、なにげに冷静で。なんだか弱弱しく見えてきます。ファイティングスピリットないな。大丈夫だろか
後は検察庁からの連絡待ちとなりました。

 平成20年4月未明  まだなのか、不安がつのるので、大分県被害者支援センターの方に検察庁に連絡をしてもらったら、5月中に・・・とのことだった・・・らしい。
 平成20年6月17日  なかなか連絡も無いので、意を決して検察庁に連絡してみる。
「副検事の○○さんお願いします」
副検事さんは電話に出ることなく、伝言で・・・
「被害者に連絡せずに決まる事はありませんので、連絡を待っててください」とのこと。
なんか冷たそうなお言葉。
こんなにかかるものなのか???
待つしかないのか。

 平成20年7月31日  先日、検察庁から電話があって、明日、検事さんをお話する事となった。今年の1月に警察から検察に書類が渡って7ヶ月ほど経っている。どんな事が検証され、どうゆう発言があったのか・・・不安は大きい。
加害者にはきっと弁護士がついて、あれこれ策をねぐらしているのでしょう。私たちは7ヶ月ただ待たされていただけ。練習十分の挑戦者を待ち受けているような心境です。
明日、2時に行ってきます。

 平成20年8月1日
 検察庁登庁
 14:00に検察庁に登庁しました。
待っていたのは、落ち着きなく眉間にシワを寄せた副検事。
目は泳いで右手ではボールペンをカチカチ。
一目で「いい話ではない」と悟りました。
「ご遺族の話を聞きたい」とのことだったが、
のっけから「示談の話が進んでないようですがなぜですか」
なんて聞いてくるので面食らってしまいました。
「保険会社は遺族と加害者の意見が食い違っている」と言ってるとか。
保険会社は書類を持ってきただけで、その後何の接触もなかったのに。
その後、副検事が一方的に話し始めます。
1.加害者の過失は確かである。
2.その結果、起こされた事故は重大である。
3.しかし、被害者に全く過失が無いとは言えない。
日本の法律では残念ながら交通事故の刑は軽いのが現状。
「故意と過失では重さが違ってくる」「過失というのは誰もが起こしているようなうっかり」
「私たち検察官の判断には一人の人のこれからがかかっているのです」
私の娘の人生は蚊帳の外ですか???
「起訴はするつもりです」
「しかし遺族の方々の求められているような刑罰は難しいでしょう」
「執行猶予か罰金か、になるかと思います」
「そして、保険会社と示談の話をして・・・」
よっぽど早く終わらせたいのでしょうか???
「民事裁判を起こすことも出来ます」と付け加えました。
「おって郵送で通知します」とのこと。

現実を突きつけられて、暗く落ち込みました。
今まで現実を避けて来た自分を後悔させる内容でした。
自分をマヌケに思いました。
被害者は落ち込んでいる暇は無いのです。
辛い中も、現実と戦っていかなければ「お人よし」って言われてしまうのです。
被害者は野に放たれた子猫のように迷い戸惑うばかりなのです。
 平成20年8月13日-17日
事故現場が荒らされる事件
以前のお供え物は何者か
に撤去されてしまった。

 8月13日(水)PM3時ごろ、加害者とその兄がお参りに来る。
妻)今日も奥さんは来ないのですか?
兄)ちょっと
妻)来る事が出来ないのですか?
兄)夏ばてで体調が悪くて
妻)お参りに来るのが筋でしょう。
加害者・兄)無言

中略

妻)奥さんに会いたいのでお宅に連れて行ってください。母親としてどのように考えているのかを聞きたいのです。
妻は加害者の兄が運転する車に乗って加害者宅に向かった。
その車の中で…
妻)事故現場に花を置いたのは何回ですか?
加害者)2回だけ

加害者宅に向かう途中、その兄は急にブレーキを踏んで妻を睨みつけ、
兄)「奥さん、あんなところに花を置かれも困るな〜」と叫ぶ。
妻は恐怖心で声が出なかった。
兄)「このまま帰ってください!」と叫んだ。
そして、急にUターンして、40キロ制限の道を80キロ前後の猛スピードで、一旦停止をする事もなく、危険極まりない運転で我が家を目指した。妻は事故が起きるのではないかという恐怖と大きな声で脅された恐怖で声が出なかった。加害者の兄は豹変して私を睨みつけて怒鳴った。どちらが加害者でどちらが被害者なのかわからない対応だ。

家の前で降ろされ、結局、奥さんには会わせて貰えなかった。誠意のかけらも無い対応。

8月14日(木)夜、供養盆踊りの後、友人と一緒に事故現場に花を持っていった。すると、以前からお供えしていたお花や飲み物、それを入れていた容器も無くなっていた。交通死被害者の会(TAV)からいただいた風車も無くなっていた。学生さんがお供えしてくれた花は投げ捨てられていた。このような被害者の気持ちを踏みにじる行為に私たちは打ちのめされてしまった。このようなことをするのは誰なのか。いいままでの経緯を考えると、もしかするとと疑わしく思った。

8月17日(日)朝、泊まっていた母が帰る時、事故現場を通ると、14日にお供えしたばかりの花も全部撤去されていた。妻はまさかと思い確認に
向かったが、その通りだった。まさかと思い、そこの田んぼの持ち主にお礼も兼ねてお伺いしたら、「私は何もしていません」との事だった。妻はショックのあまり動けなくなった。私たちには花をお供えする事しかできないのに。
 平成20年12月31日  悔しくてなかなか書けなかったんだけど、今年も最後だし・・・今年の事は今年のうちに清算するつもりで書いておきたいと思う。
奈那の刑事裁判の結果は、略式起訴(罰金70万円)。

【参考資料】
交通事故を起こした加害者は、行政、刑事、民事の3つの責任を負わされます。
・行政処分では公安委員会による免許停止、または取り消し処分
・刑事罰では懲役・禁錮・罰金等の刑事罰
・民事では喪失利益や慰謝料を始めとする損害賠償の支払い

交通事故の刑事罰では、
●危険運転致死(1年以上15年以下の懲役)
1 アルコールや薬物の影響で正常な運転が困難な状態で運転。
2 進行を制御できない高速度で運転
3 人や車の通行妨害を目的に、著しく接近し、かつ、重大な危険を生じさせる速度で運転。
4 赤信号を殊更に無視し、かつ、重大な危険を生じさせる速度で運転

●業務上過失致死(「5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金


しかし、実状(H17年)は公判請求1%、略式命令請求9.7%、不起訴85%、家裁送致4.2%で、うち実刑は0.12%で、人身事犯の1000人に1人だけが実刑になるに過ぎない。

人の命が失われても少しの罰金で済むばかりか、多くは無罪放免になる日本の司法。納得はいかない。でも次に進んでいかなければいけない。来年は民事裁判が待っている。
 平成21年3月5日  保険会社が「計算が出来ました」とのことで、お金の話をしにきた。
もう、あれから1年5ヶ月が過ぎた。
被害者にはいつになっても辛いことがつきまとう。
奈那の命をお金に換算するなんて想像もできないのに。
こんなちっぽけなお金の話に代えられてしまう事は認めがたい現実。
でも、私たち素人には技も知識もないので
しかるべきご指導を受け、しかるべきステップを踏みたいと思う。
現実は奈那が居なくなったことを確認していく。
非現実の世界に逃げていきたくなる。
平成21年5月24日

写真 写真

また、何者かが事故現場のお花&飲み物を片付けてしまいました。
片付けられた後に、どなたかがお供えしてくれたジュースが空しいです。
いつまでもお花を置く事は良くないことでしょうか?
遺族の感情はまかり通らないないのでしょうか?
ある人は、周辺住民の意見から、花を置くのは命日だけにしてるそうです。とある霊能者からは、ピンクの花が咲く種を撒いたらどう?って言われました。
同級生が通る通学路。友達が卒業するまでは、奈那の存在と交通安全のメッセージとして花を置いておいてあげたいと思うのですががく〜(落胆した顔)

私たちの戦い