2009.8.14   先日、2人目の心療家のお話を聞きに湯布院まで行ってきました。
前回、気軽く尋ねたところ、「4時間待ち」だった喫茶店兼心療家を営む男性です。結構神経質っぽい方で、心療中には口を挟まないほうがよさそうです。今回は前回と異なり、名前、住所、年齢、仕事、家族のこと等々、いろいろと個人情報を聞かれました。

私からの質問は・・・
@奈那は今どうしているかな?
A何か言いたいことはないかな?
B奈那が友達に渡すつもりで買っていた誕生日プレゼントはどこにある?
C最近、散髪や歯医者にいくと息が詰まって苦しくなるですけど・・・

まずはC
 一昨年9月を越えたあたりから精神的に不安定で、考え方に一貫性が無くなってイライラしている。自分からシャットアウトしている。運動不足であり、やる気を失っている。心臓は85点。体に問題はない。運動をしてモチベーションをあげなさい。今年の9月から10月終わりまでには回復するでしょう。とのこと。

 「自分からシャットアウトしている」・・・その通りかも。
 「運動不足」・・・テニスもサッカーも辞めてしまったし。

一番気がかりな@
 私の守護霊(女性)さんが答えてくれたようです。
奈那は中学校3年生あたりから、なんとなく思いやりを持ってきました。亡くなる前から優しさ、素直さ、明るさが現れてきました。それが奈那の宿題だったようです。
 昨年10月を越えたあたりから上に上がっていく気持ちになっている。上に上がったり下に下がったり訓練をしている。本年6月を超えたあたりから、やっと精神的にも落ち着きを取り戻してきた最中。でもやっぱり思い出すと苦しくなっている。上に上がることは解かっているが・・・。今、周りには、奈那が生まれていない時の方々がいて世話をしてくれている。
でも大丈夫。上に上がれる子です。


 奈那も葛藤しているようです。死の準備などできるはずもなかったの  で無理もありません。私たちと同じく心の中で戦っているようです。

言いたいことA
お母さんへ・・・「私が先に行っちゃった」「やりたいこといっぱいあった」
パパへ・・・優しかった。みんな好きだ。
      私が「そうかなあ〜」って言うと、「それはあなたが、あ〜すればよかった、こ〜すればよかったと後悔してるからそう思うのです」と叱責されました。
ネネへ・・・お姉さんらしくしてあげたらよかった。ネネはネネらしく、奈那の分まで頑張って。

探し物B
奈那はわからない様子。
未練や執着の元になるような記憶は消されているとのこと。

 妻の言うように、執着して無理に探さないほうがよさそうです。

守護霊さんのお言葉
奈那はあなた方とは別の世界に入りました。そのことを理解しなさい。奈那のことは私たちが守っていますから大丈夫ですよ。残された者のする仕事は、“心の中に入れてあげること”です。いつか夢の中で「大丈夫だよ」って言ってくれるでしょう。
「なぜ死んだの」と言わないでください。「心に入っているよ」って言ってあげてください。
 この子は、すばらしい子です。皆さんにいい影響を与えてくれますよ。とのことです。

 これにて、心療家にお会いするのはしばらく止めときたいと思います。
奈那も辛いと思いますので。奈那が「大丈夫だよ」って笑顔で夢に出てくるのを待ちたいと思います。前回のセッションとは結構違ってました。心療家もいろいろですね。

 でも最近、夢に出てこないんですよね〜。
 2009.7.25 学びの場   BYはまさき

もしも、人に魂など無くて、死が終わりを意味するならば・・・
飢えて死んでいく子供たち
耐え切れず自死を選んだ人
言われも無く突然殺されてしまった人など
彼らの不遇な人生には2度とチャンスがこないことになる。
それはどうみてもおかしい。
楽しいこともあれば、辛いこともある人生。
しかしながら、宇宙や地球に比べれば欠片も無い人生。
あなたはこの世で全てを全うすることができるだろうか?

人の魂は永遠であり、この世は魂を磨く学びの場なのである。
全てのことは必然であり、あなたの人生にとって必要なことなのだ。
奈那は、この世の学びをすでに終え、向こうの世界で、みなさんの学
ぶ姿を見守りながら、自身も更なる学びを続けていることだろう。


それにしても魂の学びとは何か?
愛?
愛とは何か?
掛値の無い愛とは?
愛破れ、辛い思いをすることもあるだろう。
愛したが上に試練が待ち受けていることもあるだろう。
それらを真摯に受領して、
祈りにも近い愛しみのローブで包むことができるのか?
怒り、憎しみ、自暴自棄。
学びの扉は幾重にも訪れ、私たちを試すのであろう。
2009.6.11   最近になって、ふとしたことから、今まで見た夢を分析しています。

@うつ伏せで寝ていたとき、背中を押される感覚で目が覚めた時に見て夢は、奈那が見せたのじゃないと思います。背中を押したのは奈那だけど・・・。この頃は、まだ奈那は自分が死んだのを認識していなかったはずです。奈那が居るのに誰も気づいてくれないので、一生懸命私の背中を押したのでしょう。

A夢で奈那が「お母さん水!」って帰ってきたとき、奈那の顔は涙ぐんでいました。高校の帰りのどが渇いていたのだと思います。夢でしか気づいてあげることが出来なくてごめんなさい。

Bスケッチ大会の絵を仕上げたとき、奈那が肩を揉んでくれる夢を見ました。その後、この絵は大賞に選ばれました。

C奈那が学校から帰ってきて英語の歌を歌っている夢を見ました。今も向こうの世界で、好きな勉強してることを教えてたかったのかもしれません。

D小学校1年生くらいの奈那が帰ってくる夢を見ました。私は玄関で抱き上げました。私が引きこもり人間だから帰って来てくれるのかもしれません。

E奈那が髪をショートカットにしてる夢を見ました。今までそんな事無かったのに・・・。その次の日、間違いがあって、ショートカットにされた寧々(妹)が泣きながら帰ってきました。

F高校の校長先生が高校での私の講演の日程を決めにやってきました。その夜、私の横に奈那がいて「奈那もいくの?」と聞くので「そりゃ奈那がメインだから行かなきゃ」と答えた夢を見ました。普段着で応答してる自分が不思議に思えました。

まだ、見当もつかない夢もあります。でも何か意味がありそうで解かんないので不完全燃焼です。

 2009.5.3

初めてのセッション

 昨日、とある霊能者と会う機会を得ました。
初めての接触です。

彼女は、ある方とのセッションのなかで、奈那を見つけ、話を聞いてくれた人。奈那が友達に渡すことの出来なかった誕生日プレゼントの存在を確認してくれた人。私は、お礼方々、お会いしたいと願っていました。 生命のメッセージ展が終わり、トントン拍子で話が決まり会えることとなりました。

家族3人・・・奈那も来ていましたので家族4人で行きました。 古ぼけたアパートの2F。市営住宅のようなつくり。 彼女は優しそうな普通に太った中年の女性でした。 お茶とジュースをを出してくれて、 座って直ぐに、「奈那ちゃん来てますよ、お母さんの後ろに」
「細面の笑顔の女の子ですね」
ボケーっとした顔奈那はポッチャリなんだけど・・・
「奈那ちゃんは、しっかりした、友達の相談役になるような子ですよ」 「悩んでる子が居ると、どうしたの?って慰めてあげるような子です」 「でも、それで自分も悩む事もあったようね」
電球友達もそういってました。
「これからしたい事もいっぱいあって、未練も困惑もあったね」 「専門学校や看護や美術や・・・友達や・・・夢いっぱいだったでしょう」 「突然の事故だったから、その点で苦しかったでしょう」 「家族が悲しんでいることが悲しい」 「奈那はいつも居るから笑顔で暮らしていって」 「私の分も寧々に注いであげて」 「寧々ちゃんは飽きっぽいけど、やれる人だから、好きなことを見つけて突き進んでいって」
むふっ一般的であるが、具体的な内容にも進言しています。
「お母さんはあれこれと抱え込む人です。ゆっくりでいいですよ。あせらなくても。ストレスからの胃腸と婦人病に気をつけましょうね」 「お父さんは、切り替えが出来ていますから心配ありません。左の肩が下がっているので腰痛に注意しましょう」
「寧々は・・・何か憑いていますね。動物の霊です。3・4歳ごろ白い犬を助けてあげましたね」
寧々:記憶なし
「簡単な除霊を行いましょう」
除霊
「これで、固定観念が無くなるでしょう。楽になって今日は直ぐ寝ますよ」
寧々:疑いの眼(一番疑い深い人間)

妻が種々の質問を浴びせていましたが、中略。
私「○○さんから聞いた、奈那の渡したかったプレゼントはどこにあるのでしょうか」
「机の右横の棚の中にありますよ。今日見つかると思います」 「それと、机の中段の引き出しに、直近の日記があります」
「ベッド左側に友達から貰った奈那が一番大切にしていた白かピンクのぬいぐるみのような物がります。それは寧々にあげるから奈那と思って話しかけてね」
ぴかぴか(新しい)なんやらで2時間ほど話していました。そして私は喜んで家に帰りました。
早速、奈那の部屋を散策したわけですが・・・
がく〜(落胆した顔)出てこないのです。白かピンクのぬいぐるみは「これのことかな」
くらいで、後は見つからないのです。
期待した私が浅はかだったか・・・結構ブルー入ってしまいました。
奈那が買ったのは、一緒にいった友達の証言もあり確実なのですが、見つけてあげることが出来ないのです。
空しくて胸が苦しくなってしまいました。

 2009.1.15  ミエナイチカラ B'z
夢ならあるはずだ あなたにも僕にでも 見つかりにくいだけだ 忙しすぎて

ミエナイチカラが僕を今動かしている その気になればいいよ 未来はそんなに暗くない
We'll be alright. good luck. my friend 愛する友の言葉を僕は忘れない

一体どんな言葉だった 本当に言いたかったのは いくら舌打ちしても 戻らない日々よ

ユルギナイチカラがあなたに今ささやいている It's OK BABY 恐くないよ 誰かを愛して生きること
なぜに気持ちは ずっと後にならなけりゃ伝わらない

ミエナイチカラで 誰もが強くつながっている 何も大したことじゃないよ そばにいても離れていても
昨日 今日 明日と 笑顔のあなたはいつでも この胸にいるよ

ミエナイチカラよ 輝け You’ve got to be strong  It’s never too late  I never say die
ユルギナイチカラよ 僕を満たせ You’ve got to be strong  It’s never too late  I never say die Yeah
エナイチカラよ 輝け You’ve got to be strong  It’s never too late  I never say die Yeah

 2008.12.14  死後世界地図を読んで・・・考えさせられたページ・・・先に死んだ人にすぐ会えるか?
もしも自分が霊界に行く時がきたら・・・真っ先にしたいと思うことは、「亡くなった大事な人に、もう一度会うこと」ではないでしょうか。

日本では、死期が近くなった人が、枕元に知人の霊が来てくれたのを見たりすると「お迎えが来た」と言う事がありますが、このように死ぬ前から大事な人に会えるのは、むしろ幸運な事のようです。

というのも、霊界にはある法則があって、あまりに霊人同士の住む世界が違うと、すぐには会うことが難しいからです。
『状態が異なっている霊同士の間には、乗り越える事のできない障壁が築かれています。そして、上位の者はいつでも望めば訪問したり、援助したりするために下の世界に下降する事が出来ますが、下位の霊たちには、二つの世界に横たわる大いなる深淵を越える事はできません』

もしも本当に「あの世」で大事な人に会いたいのなら、その人と同じかそれ以上に、自分の人生を頑張って生きるしかなさそうです。


 2008.12.14  地上人が死を悲しみすぎると霊を苦しめる?嘆きが深すぎると故人を悲しませる結果に・・・
人が感じるストレスの中で一番強いものは、大事な人を亡くした悲しみであると心理学でもいわれ、私たちはそのことの痛みからなかなか抜け出せません。しかし、いくら死者の事を思って嘆き悲しんでも、それは亡くなった人の霊には良い影響を及ぼさないようです。
私たちが嘆き悲しんでいる当の相手は、私たちの側で漂い、傍らに立って、自分達がまだ生きている事、死が人から愛する思いや、やさしい願いを奪い去ることなどできないということを必死に示そうとしているのです。私たちが愛する人の死を悼むのは、人間として当然の感情でしょう。けれども、霊となった故人を悲しみから救うためには、どこかでそれを乗り越えてゆかねがならないようです。(死後世界地図・1−16)


 2008.12.4  花を見て、綺麗だと思うのはなぜだろう。音楽を聴いて癒されたり、絵を見て感動したりするのはなぜだろう。
どこかで習ったわけではない。
生まれる前に、そんなところに居たから、懐かしく思うのだろうか。
綺麗だとか心地よいというのは、きっと魂が感じているのかも。


  2008,12.1  この悲しみを全身で受け止めて昇華させていかなければならない。逃げてはいけないし、逃げ道はないようである。
しかし、私は受け止める事ができるのだろうか。
まだいろんなものから逃げている。直面する事が恐くて避けて過ごしている。
自分が楽しいと思うこともタブーだと思っている。このままじゃ向こうに返してもらえないのだろうか?


 2008.11.15   あれからいろいろな本を読んできました。最初は飯田先生の「いきがいの創造」。それから江原さん美鈴さんなどなど。
最近、死後の世界が教える「人生は何のためにあるのか」を読んでみました。
旅立った娘の事が気がかりで・・・
でもきっと娘はこちらを気にしてるのでしょうが・・・
種々の先生方の話から、向こうの世界こそ故郷であり、この世の私たちは試練の旅に出ている訓練生みたいな魂なんですね。でもちょっと今回の課題はヘビー超過です。「なにしてんの!!」言いたくなります。

死後の世界が教える「人生は何のためにあるのか」は退行催眠のセッションの記録から、死後の世界をこと詳しく記載しているのですが・・・私には、向こうの世界もややこしく見えてしまいました。ソウルメイトが居て、ガイドさんが居て、源泉というエネルギーの源が居て・・・この世から理解しようとするからややこしくなるのかもしれません。

ただ私は、私が旅立ったとき、娘が迎えに来てくれて、「がんばったね」って声をかけれくれることを切に願っています。


  2008.11.13   「それからみんないつまでも幸せに暮らしたとさ・・・めでたしめでたし」
こんな人生を望んでいたわけではありませんが、自分に今のような人生が訪れるとは青天の霹靂としかいえません。人生が引き裂かれ、傷がむき出しの状態で血を流しているのです。外からは見えないけど。穴の開いた心は空虚で何もためることはできません。

愛する人を失うまで、死別の悲しみがどんなものなのか、本当に理解できないでしょう。私たちは、もう、以前の私たちではないし、以前の私たちに戻れないと感じています。「早く元気になってください」という言葉を再三いただきましたが、「回復はない」と感じていました。今の自分に「適応」するしかないのです。これは障害者のリハビリテーションとよく似ています。


  2008.11.9  遺族と呼ばれる私たちは2種類の罪悪感にさいなまれています。
「娘への罪悪感」:あの時、あ〜すればよかった、こうすればよかったという後悔。「勉強が出来ないくらいでガミガミ言わなきゃ良かった」「あの日、車で送り迎えしていれば事故には遭わなかったのに」などです。
「忘却の罪悪感」:悲しみに暮れる辛さは十分に知っているのですが、娘のことも、その悲しみの、何一つ失いたくない真情なのです。ですので、のん気に楽しんでる自分は悪人のように思えて許せません。忘れられていく事、忘れていく事は恐怖に値します。

私たちは子供を亡くしておめおめと生き永らえていることを恥じています。順番では私たちが亡くなっていなければならないのです。この世の報いか、前世の報いか・・・因果応報、いつの時かに極悪非道な人間だったのかもしれません。ですから、自分を良く知っている人にはあまり会いたくありません。街に出ても目立たないようにこそこそしてます。っていうか人が集まるところには極力行かないようにしてます。


2008.11.8   「沈黙は静寂ではない」
私たちは、職場や社会では、仮面を被って暮らしています。聞かれたことにも愛想笑いで答えたりしています。でも、話された内容によっては、心穏やかではありません。悪意がないことは解かっているのですが、私たちはこういう[残され島]に住んでいるのです。

よくある言葉に・・「いつまでも悲しんでいると 死んだ人が成仏できない」という戒めの言葉があります。スピリチュアルな先生方もよく使います。早く元気になって前向きに進みなさい・・・とのことでしょう。しかし、いつになっても娘を思い出せば悲しくなると思います。でも、成仏できないほど心配しないで下さい。きっとあなたが喜ぶようなお土産を持って帰りますから。

 「私だったら気が狂ってしまう」なんて言われることもよくあるようです。私たちは狂っていいのなら狂ってしまいたいのです。心が強いわけではありません。後を追って旅立たれる方もいらっしゃいます。心療内科のお世話になる方もいらっしゃいます。
仕事をしてても、スーパーに買い物に行ってても、心が強いわけではありません。行きたくないけどしょうがないのです。家に居るのが辛い人も居ます。同じくしょうがないのです。

当時、私が一番イヤだった言葉は「あなたがしっかりしなさい」という親族からの戒めの言葉でした。私はこんな状況下でもしっかりしていなければならないのか?そう言うあなたはしっかりしていられるのか?私には無理な相談に見えてしょうがありませんでした。無理は禁物です。無理すれば必ず反動がやって動けなくなるのです。


グリーフ・ワーク

愛しい娘は一足先に魂の故郷へ帰っていきました。残された私たちは究極の宿題に答えを持って帰れるか・・・
悪戦苦闘の一歩一歩です。