夢日記
平成29年
6月
18日

今朝見た夢の話。

私は奈那と寧々と一緒に福祉施設の食事会に出席していて、会場は古民家のようなところでこじんまりとした集会でしたが、そのうち、どこかの精薄の子がぐずりだして、その子のお母さんに連絡すると「散歩させてくれませんか」というので町内を一回りして帰ってくると食事会はもう終演で、「それじゃ〜」と帰ろうとすると・・・

靴がない!。...
「あの〜私の靴がないんですけど〜」
施設の方「それではどんな靴だったか絵を描いてくれませんか」
「あ〜そうですか」とカバンの中の紙を探すがいい紙が出てこない。「この紙は裏書できないしな〜」

実はこの後、娘たちと一緒にお祭りに行く話になっていたので、時計を見ながら心の声が「早く行かないと終わっちゃうぞっ!」「娘たちも待ってるぞっ!」

やっと紙を見つけると、今度はペンがつかない。
ペンを借りて描きだすと、今度はうまく描けない。
施設の方「連絡先の電話番号を書いておいてくださいね」
「あ〜はいはい」「?・・・」今度は電話番号が思い出せない。気が焦るばかり。

ようやくすべて描き終えて玄関を出ようとすると、
施設の方「お客さん、お支払いを」
「あ〜そうですね、はいはい」
「おいくらですかね」
施設の方「64,800円です」
「あ〜はいはい」
「6万6万と・・・」
「えっ・・・6万
「お金がない」

この衝撃で目が覚めました。
せっかく娘たちの夢を見たのに「なんて夢だ!」
夢でよかったです。

平成
28年
7月
23日
不意に前触れもなく奈那の夢を見ました。私たちは家族4人で見知らぬ家で生活していました。奈那と寧々は一緒にお話をしているようでした。私は奈那の前に行き、そのまま奈那を抱き寄せました。奈那の背中の温もりを感じました。私の行いが悪いので奈那が苦労すているようです。自分を正さなければと思いました。きっとそう気づかせてくれたのだと思います。
平成
28年
3月
9日
また、久しぶりに奈那の夢を見ました。なんだか年1回みたいですね。
私は、奈那をだっこしていました。
す〜っと す〜っと だっこしていました。
とても幸せを感じていました。
こんなたわいもない時が幸せだったんだな〜と思いました。
平成
27年
1月20日
久しぶりに奈那の夢を見ました。
奈那と寧々と妻と4人で祭りに出かけました。奈那はニコニコ笑顔で。お祭り好きだったから。私は車を駐車場に。3人は坂を上って出店に向かいました。何でもない光景ですが、私にとっては幸せなひと時です。
平成
26年
4月
5日
昨夜、またまた久しぶりに奈那の夢を見ました。奈那と寧々が楽しそうにお話をしていました。私はたわいもないこういう場面が見たかったのだと思います。

その後、もう一つ・・・私が占いの暖簾じゃなくて長い布で仕切られた中に入ると、そこにニコニコして奈那が座っていました。「こんなこともしてるの?」と私は驚いたのですが・・・それで目が覚めてしまいました。あ〜占ってもらとけばよかった!
平成25年6月24日
昨日、久しぶり〜に奈那が夢に出てきました。私が職場の食事会に出席していると、小学校1〜2年くらいの奈那が迎えに来て・・・私は「では、お先に失礼します」と席を立ったのでした。

目が覚めた後、私が旅立つときもきっとこのように奈那が迎えに来て、「それではお先に」と言って、旅立てると、とっても幸せなんだと確信しました。私の至福の時はここにあるんだと実感した次第です。
平成
24年
4月
22日
最近はヘミシンクに挑戦しても、鳴かず飛ばず。
妄想力が減少しているようです。

「論文を書かなければ卒業できない」とう強迫観念に縛られているのでしょう。

今朝も、久しぶりにヘミシンクに挑戦!でしたが、新たな「気づき」は得られませんでした。

 でも、その後、うとうとしているときに奈那の夢を見ました。


 私が奈那の絵を整理していると、
 奈那が小さなメモをくれました。
 それには、
 小学生のような字で、
 「離婚しないでね」
 って書いていました。

そんなことは考えていませんが・・・
「一緒に居てほしいだろうな」と思って、納得した次第です。

今日は、今さっき、不注意にも、玄関のドアに激突して
メガネの柄が折れてしまいました。
妻は「それ高かったんだから〜もう買ってやらないよ〜」だって。
これからメガネ屋さんに行ってきます。
平成24年1月27日
また、奈那が帰ってくる夢です。
今回は、奈那が病院から退院してきました。長らく入院していたようです。体の傷は痛々しいですが、明るい顔で帰ってきました。
手を取り合って喜びました。
私「背が高くなったな〜」
背中をつけあって身長を比べました。
私「やっぱり家がいいだろう?」
奈那「そうね、汚いけど」

私は、奈那に帰ってきてほしいという願望が強いのでしょうね。

平成23年
9月
7日
長編作の夢を見てるようでした。覚えているのは地下にある秘密の扉を抜けて、別の世界に侵入してから。公園を歩いていると、「あなた浜崎さんですね」って声をかけられて、「いいえ、違いますよ」と答えました。見覚えのある人でしたが、確か亡くなった方。公園の中央に目をやると奈那が集団の中で集団行動してました。すごく大人びていました。私には気がつかない様子です。私は公園の隅でうずくまって泣いていました。「逢えない」と感じたようです。

こんな夢を見て、その日1日落ち込んでいました。
平成
23年
6月
23日
ヘミシンクを始めてから、奈那の夢を見ることがなくなって、一長一短的な感じを受けていましたが、23日の朝、ヘミシンクをする時間に恵まれず、うつらうつらしていると、足元にくっきりと奈那が現れました。表情もよく伺えて、はにんかんだような笑顔を浮かべていました。
何か言っていたんだけど聞き取れませんでした。聞き取れないというか・・・
私が「こっちにおいで」とあせったために、差し出した手に触れたら、パンと目が覚めてしまいました。何と言ってたか聞きなおしたい気分です。
でも久しぶりに会えたようで、やっぱり嬉しかったです。
平成22年11月24日   二日続けて奈那の夢を見た。
やはりヘミシンクはうまくいかず、意識を保つのにアップアップだ。
今日の夢は短い夢。
砂山の砂がパラッと動いたので、
「奈那ちゃん、行くよ」と声をかけたら、
小学生くらいの奈那が現れて、私の前を横切って、
前を駆けて行った。


いつも私は夢の中では平然としている
それが当然のように。
現実の中の私は、いつも迷い戸惑っている。
今が夢の中のように。
平成
22年
11月
23日
ヘミシンクをはじめてから、あまり夢を見なくなったと、内心寂しい思いもあったのだが・・・今日は、ヘミシンクがうまくいかない代わりに、たくさん夢を見たらしい。

私たちは家族4人で、何処かの島に移り住む準備をしているようで、家の物件や町を下見に行ったらしい。そこでは道の交差点で車が信号待ちの途中に、子どもたちがバスケットボールで遊んでいて、奈那も一緒になって楽しそうに遊んでいた。

島の入り江では、ボートレースが行われていて、私が「あれに乗ってみたいな」というと物件の家主が、家の倉庫から「ほら、あるよ」って引っ張り出してきた。

道のくぼみに水溜りがあって、そこにメダカが泳いでいた。すると急に道が川になって大きな魚がたくさん流れていく。

山の方に行くと、下を眺める景色が絶景で、奈那は犬の散歩で、はしゃいで駆けて行った。

確かに家族4人いてとてもすがすがしい体験だった。
でもこれってただの夢じゃなくって、ヘミシンクの影響かなって思います。とても映像がクリアだったので。
平成22年
8月
4日 
 
 8月4日、寧々が夢を見たそうです。向こうの世界にテーマパークのようなものがあって、奈那ちゃんはそこのガイドのような仕事をしていたようです。奈那は一つのグループを案内しており、寧々を見つけて「や〜」って忙しそうに声をかけたそうです。寧々曰く「奈那ちゃん、可愛くなってたよ〜」とのこと。私は自分のガイドを探していたときに、奈那は皆さんのガイドやってたということか。皮肉〜。
平成22年
5月
9日 
今朝、久しぶり〜に夢に奈那が出てきました。
今年の1月以来なのでずいぶんご無沙汰です。

私の夢によくあるシチュエーションですが、
奈那が帰ってくる夢です。
玄関からリビングに上がってきた奈那は肩から重そうな荷物を下ろして、そして「ふ〜」っとソファーに座りました。
その姿が一回りも二周りも大きくなった感じがして、「あんたしっかりなったね〜」って、子どもの成長を実感する親になっていました。

言葉はありませんでした。
なぜ今日なのか解かりません。
メッセージはいかなるものか。

そういえば昨日から生命のメッセージ展in国際医療福祉大学が開催されています。私は現在この大学の大学院の福岡サテライトの学生。奈那は本校で活躍中でした。

頑張ってるんでしょう。そして成長してるんだと思いました。
夢日記をつけてると奈那の成長がよく解かります。この世で見ることが出来なかった奈那の成長。夢の中で報告してくれているのかもしれません。

そんで、メッセージは・・・

無頓着で気がつかない父に、「メッセージ展と大学にお礼をいっておいてね」ということと理解しました。
平成22年
1月12日
 
今日、朝方、久しぶりに奈那の夢を見た。

私は奈那を塾に送っていくと、塾は休みだった。
奈那は「太鼓のお祭りがあるから行っていい目がハート」って聞くから
私は、「行ってきなさい」ってまた普段着の返答で答えた。嬉しそうな顔してた。出店なんかも出てるらしい。友達も行ってるのだろう。
なんて考えていたら目が覚めてしまった。

すると、今日のAM、大学院の恩師から電話がかかってきて、
「浜ちゃん、今年、博士課程くる気ない?」との突然のお誘い。
理事長に相談すると、もうすでに話は解かっているようで、
「最後のチャンスだ、できれば行きなさい」とのこと。
帰って妻に相談すると・・・
「行きなさい」と即答。そう言われるのは目に見えていた。だから誰も止めてくれる人は居ない。
あ〜また3年も縛られることになる〜。もうそうゆう流れになっててNOって言える雰囲気じゃない。

夢で「行ってきなさい」って言ったら、「行きなさい」で返ってきた。
神様か守護霊か・・・もしかして奈那か・・・わかんないけど、
私は引きこもりのままで居られないようだ。
私はいったいどこにいってしまうのだろうか。
平成21年9月22日   早朝、まだ1時間寝れる!と思って布団に潜り込んだ時に、奈那の夢を見ました。まさしくレム睡眠です。

 私は布団の中で奈那の似顔絵を描いていました。「ここはこ〜で、ここはこうだな」なんて言いながら。奈那はその絵を見て、嬉しそうにニッコリしていました。
言葉はありませんでした。

 なんだか久しぶりに奈那の笑顔をを見て、安らかな気分になりました。「やな時は絵でも描いてよ」というメッセージかな?

 平成21年
8月
20日
 昨日、早く寝てしまったせいか、今日は朝3時30分に目が覚めて、トイレに行き、「まだ早すぎるわ」と2度寝したときに奈那の夢を見ました。

奈那と私は試験会場に居ました。何の試験かはわかりません。
会場には奈那と同じくらいの学生とその親が来ていました。なぜか試験中も親たちが教室の後ろで見守っていました。

私:「お母さんまだかな〜」。相変わらず時間にルーズな妻。

私は奈那の横に行き、「ゆっくり落ち着いて読んだら大丈夫!」って声をかけ、ちっらっと問題用紙をのぞいたら、「なんじゃこりゃ、全然分からんたらーっ(汗)」難しい問題。奈那は真剣に取り組んでいました。周りの女の子も真剣な表情です。

そのとき、私の横をすり抜けて行った女性を見て、「あ〜・・・しょうちゃんのママさんだ」って気づいたのです。

おかしいですね。逢ったこともないしょうちゃんのママさんが夢に出てくるなんて。実はしょうちゃんのママさんが夢に出てきたのは2回目なのです。1度目は新聞の記事でした。その夢があってしょうちゃんのママさんにマイミクなっていただきました。目が覚めて「なんでまた・・・」と不思議になりましたよ。

奈那たちは、私たちを遥かに超えたような問題に真剣に取り組んでいるんだなって思いましたよ。
平成21年
6月
17日
 私は夢の中でデジカメの中の写真の整理をしていたところ、奈那と友達が2・3人写った動画を見つけた。動画の中の奈那は友達と楽しそうに笑っていた。やっぱり友達と一緒なのが一番楽しそうだ。

そういえば、今までの夢の中で、奈那が笑っている夢はなかったようだ。奈那もようやく向こうの世界で気兼ねなく笑えるようになったのかな。

動画を見た夢の中の私は、なぜか切ない気持ちになっていた。
奈那の笑顔が見たい、笑い声が聞きたいという欲望に支配されたようである。
平成21年
5月
14日
 
 昨夜の夢。
テーブルに座る私の横に奈那が座っていて、
奈那「奈那も行くの?」
私「そりゃ〜奈那がメインだから行かなきゃ」 ってリアルな応答。

そんで、どこに行くのか???(肝心な事は覚えてない)

今度の日曜日のスケッチ大会?
先日、訪問して「待ち時間4時間です」って言われた霊能者宅?
でも、やっぱり・・・
昨日の夕方、宇佐高校の校長と元校長がやって来て、「奈那ちゃんの講演会、10月21日(水)でどうでしょう」と私の講演の日が決まった。奈那も友達も高校3年生。バラバラになる前にお話しなければ。奈那も皆に逢わないとね。だから一緒に行くよ。奈那がメインだから。

それにしてもリアルな応答。
夢の中で、私は、何の迷いもなく、現状のまま受け答えしてる。
不思議に思うことなく。 驚くことのなく。
平成21年
3月
29日
 
 先日、見た夢。
私と奈那と寧々とでデパートに居た。
すると、奈那が「先に帰っとくから・・・」
「若鶏のカラアゲ買ってきて」と言い残して帰っていった。
私は、何の不思議もなく「OK!」と奈那を見送っていた。

先に帰っておくから・・・魂の故郷まで帰っていってしまった。
でも、なんで若鶏のカラアゲなんだ。
 平成21年
2月
26日
 この日見た夢は結構話が長い。
私は、数人と食事会に出席していたようで、昔々の同僚なんかも出席していた。すると、私の携帯に明石家さんまから電話があり、「失礼します」と私は外に出た。その途端に大地震が発生し、アスファルトなんかも陥没して、これは「家に帰らなければ」と言う事になった。
その次の場面で、私は家でカップラーメンを食べていると、妻と奈那と寧々が帰ってきた。
私「奈那ちゃん、地震があったよね」というと
奈那「知らんし」とそっけない言葉。
奈那は少し大人びて見えた。そして髪をショートカットにしていた。ショートカットの奈那は見たことがない。

でも、なぜでしょうね。私の夢は奈那が帰ってくる夢が多い。

この夢には後日談があって、その翌日に寧々がショートカットになって帰ってきた。不本意に切られたらしい。
 平成21年
2月
11日
 この日、私も妻も一緒に夢を見た。
「一緒の夢」ではないのであしからず。
妻はあの時から始めての奈那の夢だ。
妻の夢は・・・
妻が帰宅した時に、玄関に奈那と寧々がいて、
驚いて寧々に「奈那ちゃんがいるやん」と言うと、
寧々は「奈那ちゃんに似た人なの」と答えたとのこと。
私の夢は・・・
ピンポ〜ンと小学1年生くらいの奈那がランドセルかるって帰ってきて、私は奈那を抱き上げた。玄関の外には黒い影のような人がいたような気がする。何か言ってたような気がする。

デベソな妻は、自分か帰ってくる夢を見る。引きこもりの私は、奈那が帰ってくる夢を見る。夢にも性格が反映されるようです。
 平成21年
1月
19日
 昨夜、5度目の奈那の夢を見ました。
といっても、もっと見てるような気がするので、正確には良く覚えている5度目の夢といったほうが正確かもしれません。
私は、奈那の亡骸の横に座り、久しく奈那の顔を見つめていると、奈那は大きなあくびをして目を覚ましました。
私は「奈那が目を覚ましたよー」「奈那が生き返ったよー」と大きな声で叫び妻を呼びました。そして自分の喚起の叫びで目が覚めてしまいました。それが夢だと気づくのに時間は必要ありませんでした。
みなさんも、こんな、9回裏逆転満塁ホームランのような夢をみたことがあるのではないでしょうか?
夢は魂のメッセージといいます。この夢の意味はなんだろう。
「パパも目覚めてよ」って言っているのか。
「パパも生き返ってよ」と言っているのか。
「大きなアクビしたら楽だよ」ってことか。
直ぐには分からないものなのか?でも夢で感じた方向に動いていると思います。素直に・・・
 平成20年
7月
31日
 今朝、前触れもなく奈那の夢を見た。
これで4度目。
奈那が学校から帰ってきた。
学生服を着ていた。いつもの鞄をもっていた。
とても楽しそうに帰ってきた。
私は驚いて妻に「4人居るよね〜」と確かめた。
奈那はソファーにねっころがって英語の本を見ながら英語の歌を唄っていた。私「あんた今それが好きなの?」奈那「うん」
次の場面で私はトイレにいて「私たちは奈那のところに行けないけど、奈那はいつでも私たちのところに来れるんだな」と思って涙していた。
あちらの世界でも学校に行ってるんだと思った。
それが奈那には楽しいんだと思った。
そして、「英語の歌」は何かのメッセージ?
今はなんだか思いつかない。
実は2度目の夢で奈那が「お母さん、水」って帰ってきた時の次の瞬間の奈那の顔は泣いていた。今日の夢は楽しそうな顔をして、元気よく帰ってきた。心なしか安心。
目が覚めて写真をとると、薄らとオーブ。

夢にも物語がありそうです。
 平成20年
5月
24日
   その日、久々に奈那の夢を見た。
祭壇の前で奈那に肩を揉んでもらっている夢。
「小さい頃、よく足で踏んでもらってたな」
「結構気持ちがいい。奈那も腕を上げたな」
言葉は無かった。

八面山スケッチ大会の水彩画を昨日(24日)ぎりぎりで提出。
「ご苦労さん」と言うことか。


この絵は、後に大賞をいただくこととなった。
平成20年
2月
6日
 
 
 昨夜、珍しく奈那の夢を見た。 内容は…
 私が居間のテーブルに居ると、奈那が帰って…
私が「あっ 奈那ちゃん帰ってきたやん」 「奈那ちゃん、交通事故に気をつけなさいよ」 って言うと…
奈那は「お母さん、水」 ってそれだけ。それだけで目が覚めた。これだけだけど…どうゆう意味なのか?
「奈那ちゃん、高校の帰りで喉乾いてたのかな〜」 と思った。「奈那ちゃん、水は前にあるよ。もう喉乾いてないよね」って話した。
 そのことを今、妻に話すと… いきなり涙ぐんで…
「亡くなった時、最後に水を口に入れてあげてないの。後で気が付いたんだけど…それがずーと気になってたの。パパには気にすると思って言ってなかったけど…」涙涙。
私は、そのような風習しらなかった。それなのに、そんな夢を見るとは…
 お母さんは恐がりだから、パパにメッセージくれたんだね。あの時、自転車での帰り道、喉が渇いたんだね。
某美術の先生が、「夢の中で魂はつながってるんですよ」って言ってました。その通りかも…
 平成19年10月
21日〜28日
告別式の数日後、奇妙な夢を見ていた。東側がガラス張りで、光が燦燦と差し込む家の中に居た。見覚えの無い場所。「何処だろう?」と思っているうちに、背中を押される感覚を感じ、目が覚めた。後日色々考えた結果、「きっと、いつか自分はココに行くのだ」と信じた。「ゆめゆめ忘れる事なかれ」と言い聞かせた。