できごと Part2
平成25年10月30日
昨日は、豊後高田市交通安全大会にて講演させていただきました。
前々回の講演にて会場からのオファーで実現しました。
初めてのオファー講演です。
大きな会場は音声がよいので、ぼそぼそ話す私には助かります。
豊後高田市役所市民課山田様
奈那の未来の1ページを設定していただいてありがとうございます。
命の大切さを伝えるお仕事。
今後も奈那と一緒に務めていきます。
平成25年10月18日
今日、18日は奈那の命日でした。
矢口元校長先生、マッチー先生、吉永さん(奈那の友達のお母さん)がお参りに来てくれました。中学校の3年間担任だった藤川先生から花が届きました。
そのほかたくさんの方から花が届きました。ありがとうございます。

たくさんの方々が覚えていてくれて、皆さんの心の中に奈那が生きているのがとてもうれしいです。
平成25年10月17日 奈那の石碑
今日は宇佐高校に呼ばれ行ってきました。

経緯を簡単に申しますと、宇佐高校には奈那の事故後、校長先生の計らいで奈那ちゃんの木が植樹されており、その横に木製のモニュメントが添えられていましたが、「木は腐るだろう」という3代校長(奈那の事故後、校長先生はもう4人目ですが、なぜかみんな奈那を気遣ってくれるのです)の意見から、石碑を立てようということになったのです。七回忌に合わせて。

石碑?・・・たった半年しかいなかった生徒なのに・・・あらためて奈那の人望に驚かされます。
...
習字の渡辺先生が表に「しのぶ」と美しい字で書いていただき、裏には「奈那の石碑の経緯」を書いていただいて、とっても可愛らしい石碑です。石は腐らないから、延々と宇佐高校に奈那の名前が残ることになりました。

友達も先生もなぜこんなに奈那のことを大切にしてくれるのでしょうか。人望のない父は、わが娘ながら不思議なくらいなのです。


平成25年10月16日 奈那の事故の日に
本日、16日は奈那が事故にあってしまった日ですが、私はその時、大分県弁護士会の勉強会で講演をしていました。その後懇親会まで参加させていただいたのですが、弁護士のみならず、検事、検察官、元裁判官など、命に関わる多様な方々が参加していることを知りました。そこでお願いされたのは、今度は裁判官の方々にぜひともお話していただきたいということでした。裁判官が一番被害者と接する機会が少ないんだとか。このような方々が被害者について勉強していただいていることに新しい世界を感じました。

 と...かく職業人の言葉は冷たい。職を見て人を見ず。

 医師は病気のみならず、警察は事件のみならず、弁護士・検察官・裁判官は犯罪のみならず、命に関わることを習わしとするものとして、人と命に真摯に寄り添っていただきたい。

 その時、妻は奈那の友達(みずきちゃん。すみれちゃん)がお参りに来てくれましたので、自宅で感謝感激でした。みんないつまでも覚えていてくれてありがとう。お花もお手紙ももらいました。奈那はいい友達を持っていますね。
平成25年8月21日 犯罪被害者等支援施策 市町村担当者会議で講演
大分市のアイネスというところで講演してきました。
市町村の被害者支援の窓口担当課の方々が聴衆です。
今回は加害者のことにもう少し踏み込んで話してみました。
また、多くの方が誤解しているであろうお金の話もしてみました。
新聞では巨額の賠償金が踊りますが、
全額もらえるわけでもないし、
全然もらえないケースもあるし、
保険会社はなるべく払いたくないでしょうし、
大体、命の代償にはとてもかなわない金額だし、
いただいたとしても、そんな大切なお金、意味のないものに使えるはずもありません。
「お金が出たからいいんじゃないの〜」とか話す人の感覚とは、全く違うのもなのです。
お金はパパが稼ぐから、私が逝くまで奈那と一緒に居たかったです。
奈那の笑い声が聞きたいよ〜。
写真を頼んでいましたが、またまた手違いで取れていませんでした。
平成25年6月24日
元全国交通遺族の会の植木さんからサクランボが届きました。ありがとうございます。奈那も大好きだったので、大喜びだと思います。

【植木さんの事故について】
平成18年3月に鶴岡市茅原、公務員、植木美和さん(当時36歳)が飲酒運転の乗用車に追突され死亡した。
 訴状によると、男性は06年3月7日午前7時50分ごろ、三川町青山の国道7号で、飲んだビールや焼酎などが残った二日酔いの状態で乗用車を運転。時速100キロ以上で前方の車を追い越し、車線変更をした際に前方確認を怠り、植木さんの車に追突した。植木さんの車は中央線を越え対向のワゴン車と衝突し、植木さんは脳挫傷などで死亡した。男性は06年6月、業務上過失致死傷罪で懲役3年8月の実刑判決を受けた。


私たちは愛する者の“いのち”によってつながっているのだと思います。
平成25年5月15日 由布市消防署講演
由布市のはざま未来館という施設で奈那のお話をしてきました。
聴衆は消防署の職員の方々で、結構若い方が多かったように思います。私の前の公演が伸びていたようで、時間が気になってちょっと早足になり、言いそびれたことがポロポロあり、分かりにくかったかも分かりにくかったかもしれません。佐藤さんのようにアドリブでもうまく喋れればいいのですが、私の場合、ゆったりしてないと何言ってるかわからなくなりそうです。ましてやアドリブでは「え〜・・・」「その〜・・・」と言いながらとんでもないことをしゃべりそうで恐いものがあります。
 次回は大分刑務所での講演が予定されています。少年院での公演は経験済みですが、刑務所は初めてなのでちょっと怖いです。
写真を撮ってもらうように依頼していましたが移っていませんでした。残念。
平成25年4月17日 警察学校公演
大分の警察学校で奈那のお話をしてきました。
講演は18回目ですが今年初めての講演です。
県警講演は3回目です。
警察学校は始めてでした。結構山奥でした。
聴衆は8割が警察学校の生徒さんで、
... あいさつの声には圧倒されました。
今後の警察のあり方のために、苦言もちょこっと話してきました。
久しぶりの講演だったので疲れました。
でも奈那の未来のために頑張ります。
写真を撮ってもらうのを忘れました。残念。
平成25年3月25日 なな友メール
なな友よりメールが届きました。

国家試験合格とのこと。ななに「応援してくれてありがとう」と書いてありました。

思えば、私の学位(博士)取得。寧々の多摩美合格。みんな奈那の後押しがあったものと思います。

ありがとう奈那ちゃん
平成24年10月13日 ドライブレコーダー
全国交通遺族の会からドライブレコーダーが届きました。閉会に基づき、会員に配られたものです。でも、これが活躍することがないことを願うばかりです。悲しい事故はもうたくさんです。
平成24年10月10日 友人
奈那の友達がお参りに来てくれました。成人式の時に奈那への言葉をいただいた友人です。友達もお仕事しているようです。奈那の仕事は、多くの皆さんに命の大切さを伝えていくこと。みんなそれぞれの仕事に一生懸命頑張っているようです。

みんな頑張れ!
平成24年10月5日 奈那への手紙
2通目の奈那への手紙が集録された本、今は亡きあの人に伝えたい言葉3がクオカードと一緒に届きました。東日本大震災で亡くなった方への手紙を含め106通の心優しい言葉が溢れていました。

また、良い機会に恵まれましたら3通目の手紙を書きたいと思います。その時はきっと「なな色cafe」がテーマでしょう。
平成24年9月1日携帯番号変更へ
 我が家には、まだ、奈那の携帯番号が生きていて、ときどき「メアド変わりました〜」などのお知らせが届いていた。ず〜っとそのままでもよかったのだが、妻の携帯が限界にいたり、それに便乗して、私の携帯番号を終了とし、奈那の番号を私が受け継ぐこととなりました。そんでもって、私の携帯は番号が奈那のおさがり、機種は寧々のおさがりということです。
 寧々は早くからスマホとなっており、今回妻もスマホデビューです。

 私は、パソコン主体の生活なので、携帯に興味がないんです。家族から以外に、滅多に電話もかかってきませんし。最近、久しぶりに電話がかかってると思ったら、「注文していたCDが入荷しております」と書店からのお知らせでした。
 一昔は携帯電話などなくても平気だっだのでしょうが、今は携帯がないと不安になる方が多いのではないでしょうか?
奈那の携帯番号生きてます
平成24年8月6日 大分県警 被害者支援講演会
大分県警主催の被害者支援講演会で「15歳のメッセンジャー奈那」のお話をしてきました。場所は大分県庁新館14階大ホールです。2010.年7月にも同じく県警の依頼で同じ場所で講演していますので、同じ話でいいのかな?と少し不安になりましたが・・・。会場は県警関係者がほとんどと思いましたが、今回一人だけ、以前の私を知る方を招待しました。今までなかったことですが。過去の自分に合うことを避け続けてきましたが、これも5年の月日のなせる業でしょうか?

また、今回は初めて加害者の話を加えました。話せることも増えていっているようです。
平成24年7月29日 奈那の成人式写真(創造写真)とどく
 もうひとつの成人式が終了したのち、写真館に依頼して、奈那の成人式の写真を作ってもらっていました。ちなみに着物を着ているのはマネキンです。
 写真館の方も、20歳になった奈那を想像して、技術を凝らしていただきました。
 私も想像つかないけど、きっと一回りも二回りも成長した奈那になっていることでしょう。「も〜・・・またお酒呑んでんの!」って怒ったりもするのでしょうね。
平成24年7月29日 奈那の遺骨 家へ帰る
 ほぼ5年の間、納骨堂に住んでいた奈那の遺骨が家に帰ってきました。「どういうこと?」と思うでしょうが、納骨堂は“なな色cafe”ができるまでのつなぎで住まわしていただいておりまして、いわば仮の宿。本当は今頃、なな色cafeができていて、そちらにお引越しするはずでしたが、これもいつになるかわからないし。
 納骨堂は、日増しに住人が増え、もはや満員御礼の札が下がりそう。仮の宿で住まわしていただくのは心苦しい状況になってきて、いったん自宅に連れて帰ることにしました。
 奈那としては、納骨堂も住みよかったかもしれませんが、自宅のほうがほっとするかもしれませんね。汚くてうるさい家ですが、またここに住むことになります。晴れてなな色cafeが完成するまでです。
平成24年7月13日 奈那への手紙が入選
3月だったかな。
妻の友達が、「応募してみたらどう」っていって、私にお鉢が回ってきました。
こうゆうのは私の役目のようです。

というわけで、「もう一つの成人式」を題材に、「今は亡きあなたに送る言葉」に応募していましたが、めでたく“佳作”に入選しました。佳作っていうところが私らしいのかもしれません。

また、奈那の名前を本に残すことができてありがたいです。次に私が何か書くとしたら・・・なな色cafeができたときでしょう。
http://www.tsutaetai.net/
平成24年3月28日S君と会食
 奈那と同級生で、きっと大切な存在だったS君は、今回、編入入学で滋賀大学にいくことになり、そのお祝いで、ご飯を食べにいきました。今まで事あれば、お土産やお菓子を持ってお参りに来てくれていた好青年です。あれから4年と6か月になるけど、全然変わってなくて、何よりも奈那を気にかけてくれている事を有難く思っています。
 今度はいつ会えるか分かりませんが、なな色cafeが出来た時は、必ず来てくれると思っています。
平成24年2月3日【15歳のメッセンジャー奈那】in香々地
 妻の母校の香々地中学校で講演してきました。校長先生も教頭先生も妻の同級生という、まさしく妻の膝元です。生徒は全校で80名ほどの小さな中学校。
 学校で話すのは今回で6回目。といっても2回は少年学院。私と奈那の話が学生にどのように伝わるのか、いつも不安。命について学ぶのは早いんじゃないかな?いやいや聞いておくべきかも?
 私は学生においても、話しかたを変えることはありません。というか変えることができないんでしょう。淡々と話すことしかできません。感情はなるべく出さないように話しています。でも感情がこぼれることはよくあります。
 地道にコツコツ行くのが私と奈那のスタンスです。
平成24年1月7〜9日【mini生命のメッセージ展inうさ 〜もう一つの成人式〜】
妻が私に内緒で着物を買ってから、密かに走り出した奈那の成人式。
国東の佐藤さん、大分被害者支援センターのみなさん、矢口元校長先生ほか、たくさんの方々のご尽力で、現実になりました。なんとお礼を言っていいかわかりません。

私は、どうせやるなら、奈那だけじゃなくて、成人式を迎えられなかったみなさんを一緒に祝ってあげようと思い、生命のメッセージ展のメンバーや広く地域住民にお知らせをし、お誘いしました。地域的に認めてもらえるか不安はりましたが・・・でもやってよかった。

奈那オブジェの横に着物が飾られた時、思わず目頭が熱くなりました。奈那が着物を着ているように思えました。たくさんの花もいただき、なんと豪華な成人式でしょう。

大分で一人のメッセンジャーを誕生させることができました。工藤剣太君です。彼は17歳の時、剣道の練習中、脱水症状の中、理不尽な指導者の暴行に会い亡くなりました。なぜこのような事が行われるのでしょうか。ご家族の怒りは測り知れません。福岡の松原さんのご指導で手際よくオブジェが作られて行きました。松原さんは職人みたいです。

もう一つの成人式では、成人を迎えることができなかった方々に成人証書を授与し、我が家の奈那もいただきました。ここまで感動的な企画となっるとは、正直、想像していませんでしたので、きっと神様が導いてくれたのでしょう。

奈那の友達から手紙をもらいました。霜村朋香ちゃんと簾美月ちゃんです。いつも奈那のことを気遣ってくれます。そしてたくさんの同級生と一緒に成人式を迎えられました。奈那はいい友達に恵まれていますね。

 奈那へ
 今日は久しぶりにみんなで集まれたね。卒業してからみんなそれぞれ の道を歩んで、なかなか会えない日が続いたけど、奈那が知っている みんなのままだ。変わってないよ。奈那と一緒に成人式迎えたくて、  みんなで集まったよ。こうやって集まることができたのも奈那のおかげ やな。私らは辛いことがあった時、奈那の面白いエピソードや笑顔を  いつも思い出してたよ。奈那はいつも面白いことをして笑わせてくれた ね。やっぱり、私たちの居場所は奈那なんやなって思うくらいすごく大 きな存在です。この式が終われば、またみんなバラバラになってしまう けど、また必ず奈那に会いに行くからね。それまで待っててね、私たち の想いが奈那に届きますように。

二分の一成人式の時のカプセル開封は、これまたサプライズでした。急きょ、このもう一つの成人式会場で開封することになりました。小学校時代の同級生とも再開することができました。

 ちなみに、奈那の手紙は・・・

 10年後の私へ
 子供のころの夢は薬を作る人になりたかったです。
 苦手だった授業は算数、音楽のリコーダーが苦手だった。
 得意なことは塗り絵と絵を描くことと図工が好き。幼稚園のころは絵を かいたらすごいところに行った。
 ばーちゃんが大好き(井本キト子さん)
 友達の親友は田染久美子ちゃん
 お母さんは優しい
 お父さんは怒るけどやっぱり優しい
 妹の寧々ちゃんはしつこいけど優しいなあ
 好きな食べ物は野菜かな
 先生とお話しするときや家庭訪問は緊張したなあ(友成としみつ先生)
 ナナ

渡辺カズタカ君のお父さんがボーカルを務めるバンドの演奏や、松永さんらちゅうりっぷのみなさんのピアノ演奏があり、会場を元気づけてくれました。ありがとうございます。

パパはみなさんにお礼を込めて講演させていただきました。奈那もそう思っていたでしょう。みんな来てくれたからね。その中で、言いたかったのは、「今後も祝いたいと思う心が報われましように」と言うことと、「命に触れることで優しく立派な新成人が生まれたこと」。確かに伝えることができました。

2日目の午前中は、ガールスカウト35団が奈那ちゃんの想いでを集めて、パワーポイントで流しながら、踊りやハンドベル演奏を見せてくれました。こうやって奈那も頑張っていたのでしょうね。

2日目の午後は、山口の山根さんの講演です。被害者で支援センターの職員である山根さんは、やっぱりしっかりとした力強い方でした。やっぱり母は強いですね。

鈴木あみちゃんが小学6年生の時、奈那と二人で埋めた、タイムカプセルを持ってきてくれました。コーヒーのビンだったので残念ながら、水が入って、解読不可能になっていました。しかし、こうやって友達と楽しんでいたんだなあ〜って、改めて友達を大切していた奈那に脱帽です。

みなさんが素晴らしい成人式だったと言ってくれました。
みなさん感動してくれました。
奈那の成人式がこんなに意味のあるものになって、
改めて、やってよかったと実感しました。
みなさんありがとうございました。













平成23年12月8日【佐賀 成章中学校講演】
 今日は、中学校で講演してきました。いつもプロジェクターが正常に映し出されるまで、不安がよぎります。これが動かないと話ができないので。高校では2回講演をしていますが、中学校は初めてなので、反応はいかがなものか、未知の体験です。みんな神妙に聞いていた様子です。後日送られてくる感想が楽しみの様な怖いような・・・ですが。
 講演後、新聞とラジオの取材を受けました。私はアドリブが苦手で、うまく受け答えできたか疑問です。私が佐賀のニュースを見ることはありませんが。
 最近感じることですが、講演の後の疲れが強いようです。今日も帰りに高速のパーキングで寝ましたが・・・寝たというか気絶していました。
平成23年12月1日【義母逝去】
 早朝、病院から妻に電話が入り、私が気付かないうちに妻は病院へ。
妻から亡くなったことを知らされました。
 今年の2月に脳梗塞で倒れ、一度も意識が戻ることはなく、いつどうなってもおかしくない状態でしたが、気丈に(自由に)一人暮らしを続けていた義母の姿が思い起こされます。
 義母は生前、お坊さんに「孫の奈那と換わってやりたかった」と涙ながらに話していたそうです。義母にとってもこの上ない悲しみだったと思います。
 私は、義母の葬式がこんない辛いと想像していませんでした。でも奈那と一緒に写真に写った義母の笑顔をみると、涙があふれて止まりませんでした。
 奈那ちゃんと一緒に手を取り合って居てください。私も早くそこに行きたいけど、許しが出るまで我慢します。
平成23年11月26日【県庁で講演】
 被害者支援講演会にてお話してきました。今回は熊本の米村さんと一緒に講演です。米村さんは娘さんを殺人という残忍な形で失い、2週間後に土中から発見されるという想像を絶する体験を、会場に訴えるように話していらっしゃいました。
 私はその話を聞いていて、すでに気持ちがいっぱいで、あっぷあっぷ状態になっていました。平常心を失いそうです。何度となく苦しくて詰まりながらもお役目を果たすことができました。同じ被害者の苦しみはヒシヒシと手に取るように共感されました。
平成23年11月23日【お手紙】
今日はくぼたクリニックの先生の依頼で、透析患者さんのリハビリ指導にいってきました。患者さん宅は山を3つくらい越えた奥で、医療も福祉もまだまだ・・・ましてやリハビリなど新参者に思えました。

ところで、そのくぼたクリニックで、なぜだか宇佐高校生徒の父兄より手紙をいただきました。以前妻が勤めていたからでしょう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 先日の卒業式には、お祝いの品をいただきありがとうございました。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのことで、2年前の手紙のようです。
そういえば、妻が、同級生の卒業式の時に卒業生全員にハンカチをあげたんじゃなかったか?・・・

律儀にもお礼の手紙をいただいていたようです。

もしかしたら、その方に成人式で逢えるかもしれません。そのためにも「もう一つの成人式」には辿り着かなければなりません。

 奈那の人生の続きのためにも。
平成23年10月16日【事故から4年目】
今日は事故から4年目。10月16日18:20。1年の中で最悪な時期です。
もう4年も逢ってないんだ・・・再び逢える日を信じています。
今日は、お昼に矢口(元)校長先生たち3先生がお参りに来てくれました。渡辺先生が奈那が高校の習字の時間に書いていた書を持ってきてくれました。相変わらず綺麗な字。我が家では一番字がうまいのです。

名前は奈那臨?・・・書家みたいな名前だね。

夜はガールスカウトの親しい人たちがお参りに来てくれました。

 
平成23年7月8日【佐賀県で講演】
 初の県外講演です。佐賀県嬉野市で講演してきました。嬉野市では被害者支援団体のNPO法人VOISSさんが出前講座として公民館を回り被害者支援を広めているそうです。私の講演もその一環です。
 会場は100名くらいの聴衆でしたが、珍しかったのは、そのほとんどが年配の男性でした。「どこかの団体?」と思いましたが、一般お知らせで集まったとのことです。
 奈那は生命のメッセージ展でも活躍していますが、この講演活動でも奈那のことを知っていただいています。我が家で一番の有名人です。そしてこれからも奈那の未来は続いていくのです。
 写真は、一緒に講演した大分県被害者支援センター事務局長の栗林さんと奈那です。
平成23年7月2日【津久見で講演】
  津久見市民会館で講演「15歳のメッセンジャー」してきました。大分県犯罪被害者支援センター主催の犯罪被害者支援講演会です。私は津久見に初めていきました。同じ県でも、行ったことのない都市もありますね。特に私は県南の方にはなかなか行きません。聴衆は50名前後だったと思いました。みなさんどのように受け取られたでしょうか。パワーポイントで話す私は会場の反応を見る余裕がありません。
 話してていつも辛くなるけど、伝えていかないと未来がなくなるようで寂しくなります。今は未来を続けていきたいと思っています。
 来週は、佐賀の嬉野で初の県外講演です。
 
 平成23年3月5・7日【国東と少年院の講演会】
 5日に国東、7日中津少年学院と講演会が続きました。
3月5日(土)、国東町人権フェスティバル、会場はくにさき総合文化センターです。初の佐藤さんとのコラボ講演でした。聴衆は約300名。みなさん熱心にきいてくれていました。
3月7日(月)、中津少年学院、生徒は15名くらいでした。狭い会場でしたが、奈那のことを知っていただきました。
こうやってこつこつと伝わっていくの楽しみにしています。
 
 平成23年1月18日【保育園の頃のお友達】
奈那が保育園の頃のお友達が、昨年11月に行われた生命のメッセージ展in鈴鹿医療科学大学にて、奈那に逢ってくれたました。彼女は当大学の学生さんです。こうやって皆さんが赴いた先で奈那に逢ってくれるのは、とても嬉しいことです。彼女はバイトの初給料で可愛らしいお花を買ってお供えしてくれました。保育園の短い間でしたのですが、覚えていていただいて有難うございます。重ね重ねお礼申し上げます。  
 平成22年12月17日【甲斐校長からのプレゼント】
奈那の誕生日に宇佐高校の甲斐校長先生からプレゼントが届きました。フリーズドライの薔薇とメッセージ。今年もまた修学旅行の中で、2年生みんなで奈那の誕生日を祝っていただいたのです。だただた感謝です。こんなにも奈那を生かしていただいて。
もう一つ、妻がABCクッキングで手作りしたケーキ。奈那も嬉しい19歳の誕生日になったことでしょう。
  
 平成22年10月23日【遊美展】
   
本年度から、寧々と一緒にアトリエに通っているのですが、そのアトリエの発表会である遊美展が10月22日〜25日で開催されました。
その中で、奈那が小学生の頃描いていて、まだ 提出していなかった作品と学校で描いた自画像も含めて展示していただきました。有難うございます。          
                     

次に私のはじめて描いた油絵です。いつもの八面山と我が家のノンちゃんの絵。
  
寧々の絵です。 まずは八面山スケッチ大会で奨励賞だった、「メジロの里」。 次に、今アトリエで練習しているデッサン。そして最後に学校の文化祭でみんなと協力して作った恐竜のトリックアート。       


  
 平成22年9月25日【別府交通安全大会講演】
 いのちのミュージアム開設記念についてはmessenger奈那のページに掲載しています。
ここでは、その日11:00〜12:00で行われた別府での講演会を紹介します。

終了後、いのちのミュージアムに直行だったので、焦って写真をお願いするのを忘れてしまいました。
会は功労者の表書式から始まり、交通安全宣言、飲んだら乗れん音頭と快活に進んだあと、私の暗いお話だったのでギャップが大きかったものと思います。今回は妻も次女も会場にいまして、「だいぶ話すのに慣れたね」との評価でした。ちょっと時間が下がった関係で、少し早口になったところもあったと思います。
今回、12:22の特急に乗らなくてはならなかったので、終了後の時間がなく、講演の余韻や評価を聞くことが出来ませんでした。そそくさと挨拶をして立ち去るしかなかったのが残念でした。
奈那と私たちの話が、会場の皆さんの交通安全に役立ったら嬉しいです。
 平成22年7月28日【大分県警講演】
大分県警から依頼された講演会を勤めてきました。場所は昨年、生命のメッセージ展が開催された県庁の新館14階です。懐かしい場所です。対応がとても丁寧で、会場の皆さんも熱心に聞いてくれてありがたかったです。会場に藤内先生が居たとはびっくりでした。地域リハやってた時の保健所長さんで大変お世話になりました。 今後も講演会頑張ります。  
 平成22年6月21日【中津少年学院講演】
 少年院と呼ばれる施設で講演してきました。このような施設の中に入るのは初めての経験です。何重にも施錠された内部に入ると、広くい芝生や静かな建物が目に入りました。聴衆は20名程度。15歳から20歳までの男の子。みんなにどのように伝わるのか、不安でしたが、みなさん静かに傾聴していただきました。また、奈那の未来の1ページが書き込まれたと感じました。
場所的に写真は取れないと思っていましたので、今回は贈呈した本のテーマを記載します。
 『生きがいの創造』
飯田史彦
 平成22年6月13日【千羽鶴完成】
千羽鶴がようやく完成しました。半年はかかったと思います。合間を見てこつこつと折り貯めてきました。束ねて持ち上げてみると結構重かったです。さて、これから何をしようかな。またプレゼントになるようなものを考えます。   
 平成22年4月27日【大分商業高校講演】
 大分商業高校でお話して来ました。先生が新聞を見て、思い立ったようです。体育館には800名を超える学生さん。奈那も全く知らない学校で、ちょっと緊張していたかもしれません。私もなんとか40分勤め上げることが出来ました。奈那のお話をすると、いつもの仕事の話より2倍ほど疲れます。帰ったらバタンキューです。
 後日先生の話では、2名ほど奈那と一緒に少年の船で沖縄に行ったお友達がいたそうです。奈那の友達の多さにまた驚かされます。
 
 平成22年4月18日【奈那の絵】
先週から、奈那と寧々が以前通っていたアトリエに寧々と私が通うことになりました。突然だったので、描き始めたのは、カバンの中にいつも入っている奈那の写真。人物画は余り得意じゃないけど、なんとか仕上げました。
今度は油絵を描いてみたいと思います。やっぱり奈那の絵で。
 
 平成22年3月6日【宇佐高校前校長訪問】
6日、宇佐高校前校長が訪れて、「私の自叙伝の中に奈那の話を書かせてください」とのことでした。事故から卒業式の提案までお世話になったのはこの人なのです。校長は習字の渡辺先生の字を持ってきてくださいました。
先生から字をいただいたのは2度目です。1度目は「ありがとう」。今回は「なな色cafe」。周囲の期待はとても大きいようです。妻は「どうしたらいいの」と焦りと不安がヒートアップしています。 
 
 平成22年3月5日【千の風になったあなたに贈る手紙】
 5日、「千の風になったあなたに贈る手紙」が1冊届きました。近くの本屋さんを覗いてみましたが、取り扱われてないみたいです。やっぱり田舎なのです。

目次が無いので、妻は捜すのに苦労した様子です。214ページにのってます。
 
 平成22年3月3日【奈那だけの卒業式】
3日13:00に奈那だけの卒業式が校長室で開催されました。 正式の卒業式は2日に終了していたのですが、20人の友達が制服で見守ってくれました。涙と感動の卒業式でした。

2日の正式な卒業式の答辞の中で奈那のことを話してくれたそうです。 宇佐高校OB会会長(前市長)も奈那の話をしてくれたそうです。 宇佐高校OB会副会長さんは奈那の卒業式に是非とも参加させてくださいといって、3日、自主的に参加してくれました。
校長は、私の高校での講演以来、「心のリレー」という紙面を発行し始めたとのことでした。

奈那がこんなに皆さんの心の中に居て感動を起こしていることに驚くばかりです。


 
 平成22年2月26日【寧々の誕生日に】
今日は寧々の誕生日。この日にあわせて奈那の友達が奈那のバースデイメッセージを持ってきてくれました。本当は奈那の誕生日にあわせてでしたが、多忙な妻の都合上、のびのびになっていました。皆さんから優しいメッセージをいただきました。皆が奈那の友達でいてくれるので、それが一番嬉しいことです。ありがとう。  
平成22年2月14日【犯罪被害者支援講演会】

 昨日、犯罪被害者支援講演会で1時間ほどお話をしてきました。場所は大分の豊後大野市です。国東の佐藤さんは運営の方でご尽力くださっていました。もちろん、隆陸君と奈那のレプリカも一緒です。今回はなぜか涙もろくて、何度か言葉に詰まってしまいました。体調なのか?気分なのか?解かりません。でも感じたのは運営もスムーズだったし会場全体に優しさが漂っていました。この機会を作ってくれた被害者支援センターをはじめ多くの関係者に感謝いたします。

 
会場に飾られていたお花を頂きました
 平成22年2月4日【奈那への手紙】
今日、家に帰ってみると、「千の風になったあなたへ贈る手紙」出版に関するお知らせ、というハガキが届いていました。

いつだったか、公募ガイドっていう雑誌でみつけたテーマに親近感を感じて、何の気なしに頭に浮かぶ文を載せてメールで送ってみたのです。いつが発表だったかも忘れていました。なんと私の手紙が載せられた本が出版されるとのことです。また奈那のいたずらか。
『千の風になったあなたへ贈る手紙』 

新井満監修
「千の風」手紙プロジェクト編
2010.3.5発売予定
朝日新聞出版
 平成21年12月21日〜25日【福岡県庁でのミニメッセ】
 Messenger奈那  
 平成21年12月17日【奈那の18歳の誕生日】
 宇佐高校の甲斐校長先生が修学旅行先から、奈那の誕生日のためにフリーズドライされた薔薇の花を届けてくれました。2年生が「ハッピバースデイ奈那ちゃん」と歌ってくれたそうです。1級下の学年なのに。同級生からも誕生日のメールが続々と届いていました。みんな有難うございます。「奈那はすごいな」って思いましたよ。   
 平成21年12月5日【ガールスカウト25周年記念】
 ガールスカウト25周年記念行事が開催され、奈那の黙祷をしていただきました。スライドでは奈那の生前のスナップが映し出され、このうえなく存在感を表現していただきました。有難うございました。
写真のケーキは寧々がデザインしたものです。このようなセンスは長けているようです。

会場のスナップではたくさんのオーブが舞っており、きっと奈那も楽しんでいたんじゃないかな
 
 平成21年11月13・14日【生命のメッセージ展in佐賀】
 生命のメッセージ展in佐賀で、また、たくさんの方々をお会いする事が出来ました。もちろん奈那のオブジェともお久しぶり。全国を巡る奈那はとても誇らしげです。
 大分の被害者支援センターの方々が来てくれました。みなさんの日々の活動に感謝です。
 マイミクのribakoさんの旦那さんとお会いする事が出来ました。 メッセンジャーのてつや君にとって佐賀は思いの深い場所だったようです。
 佐賀から参加のメッセンジャーで、私と同じ職(理学療法士)を目指していた19歳の大学生さんとその家族の方々と会いました。まだお別れから1年と半分くらい。我が家はやっと2年。お互いの辛さが身にしみました。
 鈴木共子さんをはじめ、いのちのミュージアムのみなさんに逢えて、メッセンジャーを支援する輪の中に自分が居ることを確認できた2日間でした。